-六道輪廻- |
何度生まれ変わったとしても 君を探し出すと誓う |
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季節が巡るように
心が移り行くように
雨が空へと還るように
俺の命が消えた暁には、色を変え、形を取り戻し、何処かに辿りつくのだろうか。
◆
「ハルちゃん?」
穏やかな春の鳥の囀りにも似た、優しげなソプラノボイスが耳元で響いた。
その心地よさにゆっくり眠りの世界へと誘われた瞼を持ち上げると、少し前は真っ青だったはずの空がいつの間にか茜色に姿を変え、目の前に広がっている。
「部活中、急にいなくなったからどうしたかと思ったら、こんなところでお昼寝?」
その茜色に、小さな影が落ちた。艶やかな黒のサイドポニーを揺らし、眼鏡の奥の瞳を緩ませるのはクラスメイトでもあり、美術部の仲間でもある櫻田かおる(女子1番)だ。
部活の途中で抜けて来たのだろうか。かおるは油絵を作成する際に身につけるダークブラウンのエプロンをしたままだった。エプロンは古い絵の具から先ほど付いたであろう真新しい絵の具まで、様々な色で薄汚れている。その中の鮮やかなブルーがやけに目に沁みて、大塚千晴(男子1番)は開いたばかりの瞳を細めた。
「かおるちゃん」
自分の口から出た声は小さく、今にも消えてしまいそうだと千晴は思った。だがかおるはそんなことなど気にも留めない様子で、未だ寝転んだままの千晴の横にしゃがみ込む。かすかに香る油絵独特の香りが、かおるの甘い香りと混ざって鼻腔を突いた。
ぼんやりと熱を帯びた上半身をやっとのことで起すと、初秋の冷たい風が頬を掠めて通り過ぎていくのを感じる。
やっと同じ高さで目線が合うと、かおるはにっこりと笑い視線を燃えるような空へと滑らせた。確か、今かおるが描いているのは、透き通る程の蒼を使った空のだ。今の空は、彼女が描いている空とはあまりにも違う。それでもかおるはそれを綺麗だと顔を綻ばせる。
「ねぇハルちゃん、あの雲、いちごの乗ったショートケーキに似てない?」
かおるが喜々として指差したのは、歪な形をした大きな雲だった。丁度三角形のような形をした雲と小さな丸い雲がくっついて、かおるの言うとおりケーキのような形になっている。千晴はふっと笑いを零し、そうだね、と呟いた。そして隣の雲を人差し指で差す。
「じゃぁあれはさ、なんに見える?」
「んーと、ソフトクリーム?」
「あたりー。じゃぁ、あれは?」
「えー?うーん。ひつじさん。」
「ブー。龍の家で飼ってるトイプードルの小次郎でしたー。」
「あはは!確かに似てるねぇ。」
小次郎、元気かなぁ。そう呟き、声を立てて笑うかおるに目をやると、かおるの頬にあるそばかすが夕日でオレンジ色に染まっているのが見えた。彼女のチャームポイントである(と千晴は思っている)それは、かおるが笑うのと一緒に上下に動くのだ。千晴はかおるも気づいていないであろうその癖がとても好きだった。
寝起きの重い身体を持ち上げ、のろのろと立ち上がる。すると今まで空を見ていたせいか、単に屋上にいるせいか、幾分か空が近くなったような不思議な感覚に陥った。あぁ。立ちくらみ、だ。白くぼやける頭をなんとか平静に戻しながら、自分の運動不足の身体を情けなく思う。
起きた?と無邪気なかおるの声がした。
「ハルちゃん、そろそろこんなところで寝たら風邪引いちゃう季節だよ。」
「うーん。わかってはいるんだけど…。俺のベスポジだからね、ここは。」
「ベスポジ?」
「ベストポジション。」
「ふふ、そーなの?確かに気持ちいいもんね。」
千晴にとってここ屋上は、狭い学校内でも指折りのお気に入りの場所だ。晴れの日は決まってこの場所へ足を運ぶのが入学当初からの千晴の日課だった。
少し前までは暖かく、絵を描くにも、昼寝をするにも最高に適した環境が整っていたのだが9月の下旬ともなれば夕方には冷たい風が吹く。
もうすぐ、唯一ここから足が遠ざかってしまう季節がやって来る。寒いのはなによりも苦手だ。ぶるっと身震いをしてポケットに手をやると、かおるがねぇ、と小さく首を傾げた。
「ハルちゃんは、高校どこ受けるの?」
唐突な質問に思わず唾を飲み込んだ。それに気が付いたのか、かおるが不安げに眉を下げる。
「どうしたの、急に。」
淡々とした調子でそう返すと、かおるは千晴の隣から数歩足を進め、屋上のフェンスに細い指をかけた。フェンスの向こうには、練習を終えた運動部の姿がちらほらと見える。
かおるはそれを見つめ、小さく息を吐いた。彼女の丸い瞳が、ゆっくりと曲線を描く。
「もうすぐ、卒業でしょ?なんだかこれまでずっと一緒にいたのに、寂しいなぁって。」
「…もうすぐって、まだ半年もあるよ?かおるちゃん、気が早いよ。」
笑い交じり言った言葉に、かおるが振り返った。そして千晴は息を呑んだ。かおるの眼鏡の奥に、光るものが見えた気がしたからだ。
だが次の瞬間にはもう、かおるの顔にはいつも通りの笑顔が浮かんでいた。自分のみた涙は、見間違いだったのだろうか。混乱しているうちに、夕日に当てられたかおるの表情が再び見えなくなり、それと同時にかおるが口をひらく。その声色は、とても穏やかな物だった。
「半年しか、だよ。私、あっこちゃんとも萌ちゃんとも志望校違うし…。みんなと離れ離れになっちゃうなってよく考えるんだ。3年間すごく楽しかったから、離れがたくなっちゃってるんだね。」
気が付けば、彼女から視線が逸らせなくなっていた。卒業なんてまだまだ先、と笑っていた千晴だが、彼らと離れてしまうことを思うとどこか、ぽっかりと胸に穴が開いたような気分になった。そうか。もう半年後には、自分はここにいないのか。
あの油臭い美術室で無心になって筆をはしらせる事も、友人と教室で騒ぐ事も、窓際の席で陽だまりの中大好きな音楽を聴く事も。
そして、かおるとこうして二人で話したりすることも、もう無くなってしまうのだ。
とてつもなく痛む胸をラベンダー色のワイシャツの上から押さえつけ、かおるに背を向けると屋上と校舎を繋ぐドアへと足を進めた。
背中にかおるの視線が突き刺さる。ハルちゃん、とどこか震えるような声が聞こえたがなぜか千晴は振り返ることが出来なかった。
「あー!!こんなとこにいた!!」
突然、屋上のドアが勢い良く開いたと思うと明るい声がそこから上がった。そこから顔を覗かせたのは、同クラスの神尾龍之介(男子3番)と中條晶子(女子2番)だ。
龍之介の明るい茶髪が風に靡き、彼の整った顔を露わになった。千晴とかおるを見つけた途端ぱあっと顔を明るくし、龍之介が二人に駆け寄る。いつも着ているカーディガンを着ておらず、ネクタイを占めていないところを見るとどうやら部活後のようだった。そう思うと、心なしか日に焼けた肌が汗に濡れているような気がする。
「二人とも探したよ!美術部の顧問に聞いてもさ、どっか行っちゃったよーとしか教えてくれないし。ほーんと、適当な部活だよなー!」
そう言って切れ長の瞳を細めると、龍之介が千晴の暗い茶色の髪をくしゃくしゃとかき混ぜた。それを腕で軽く払いながら、どうしたの?と龍之介に向かい問う。
「藤くんが帰りラーメン奢ってくれるって言うから呼びに来たんだよ!萌ちゃんのおねだり攻撃で撃沈!な、あっこ!」
「うん。藤くんってば萌の『おねがぁい』に弱いから。」
呆れたように呟く晶子に、隣の龍之介が苦笑を漏らす。二人の言う”藤くん”とは我が三年星組の担任である藤丸英一先生のことだ。22歳の新任教師で、未だに抜けない学生的なノリが生徒に受けている。その藤丸が学校一の美少女といわれる成瀬萌(女子3番)に掌の上でうまく転がされている姿は簡単に想像できてしまった。
「よし!というわけで、藤くんの気が変わらないうちに行こー!お前ら、早く片付けて教室集合な。天ちゃんも待ってるから!」
「…そんなに急かさなくても。」
「何言ってんだよあっこ!ラーメンは逃げちゃうんだぞ!」
見るからにあまりノリ気ではなさそうな晶子の腕をぐいと引っ張ると、龍之介がスキップをしながら屋上の扉を開く。どうやら、龍之介の言葉から推測すると柏谷天馬(男子2番)も教室に居るようだ。 今日はクラス全員で、ラーメンパーティといったところらしい。
校内に吸い込まれるように消えていく二人の背中を見送ってから、ゆっくりと後ろを振り返ると、目が合ったかおるが優しく微笑んだ。
「行こうか、かおるちゃん。」
夕日が、彼女の小さな身体を同じ色に染める。それを素直に眩しいほど綺麗だと思ったのは一生心にしまっておこう。
かおるが小走りで千晴に駆け寄り、隣に並ぶ。その子犬のような仕草を微笑ましく思うと同時に、先ほどのかおるの悲しげな表情が頭を過ぎった。
それを振り払うかのように一歩前へと足を進める。秋を呼ぶ風が頬を掠めて通り過ぎていく。
この時間がずっと続けばいいのにと、そんな、情けないことを考えているのが俺だけじゃないといいと千晴は静かに考えた。
◆
季節が巡るように
心が移り行くように
雨が空へと還るように
時も戻ればいい。永遠とも思える今という短い時間。
俺の命が消えた暁には、色を変え、形を取り戻し、何処かに辿りつくのだろうか。
◆
◆
晶子は、本当はすべて分かっているんじゃないだろうか?
そう願わずには、いられないのだ。
卒業まであと半年。
頭ではわかっていても、まだ現実感がない。
みんなで一緒に勉強して遊んで馬鹿なことをして、今日も明日も明後日も過ごす。
何の疑問もなく、そう思っていた。
◆
夏に比べれば少し柔らかくなった朝の日差し、思えば少し前より色褪せた気がする黄緑の葉を付けた木々、爽やかに感じられる風に靡く稲穂と朝早くから収穫の準備を始める農家の人々――毎日見ているとその変化には気付かないのだが、ふと意識すれば季節の変化を感じる通学路。
柏谷天馬(男子2番)は周りの景色を視界に入れながら、舗装が完全ではない道を自転車で走る。
校区の広い古山中学校に通う生徒の中でも、天馬は特に遠いところから通学している。
晴れの日や曇りの日はもちろん、雨でも風でも雪でも、自転車を漕いできた。
この道を走るのもあと半年かと思うと、少し寂しい気持ちになる。
天馬は走りながら、腕時計のデジタル数字に目を遣った。
いつもより早めに出たので、今日は早く学校に着きそうだ。
自転車の前かごに入れた通学鞄は、その形を保てないほどにへしゃげている。
今日は校外学習で、持ち物が少ないのだ。
…なんか、校外学習にテンション上げて早く学校行くみたいじゃん、俺。
うわ、ダッサ。
天馬は自転車を降りた。
ここから歩けば、並の時間に着くだろう。
クラスで1番学校まで距離があるのに1番に着くなんて、恥ずかしくてたまらない。
皆にからかわれるに決まっている。
神尾龍之介(男子3番)あたりが、『天ちゃんってば、そんなに遠足が楽しみだったんだ! かっわいい!』とか言ってくるのが容易に想像できる。
自転車を押しながら、天馬は自分の手に視線を落とした。
入学する前に、親に『男の子は身長が一気に伸びるから大きめの制服を買わなきゃね』と言われてぶかぶかの制服を買ったのに、身長はほんの少ししか伸びなかったため、未だに制服は天馬の小柄な体には合わない大きさで、手が袖でほとんど隠れてしまっている。
周りの男子はすくすくと成長していくのに、取り残されるのがとても悔しかった。
女子にまで『天ちゃんは小さくて可愛いね』と言われる始末だ。
少しでも男らしくなりたいと思って口調を意識してみたり髪型をいじってみたりしているけれど、ようやく160cmに到達したばかりの身長と幼い顔立ちが邪魔をする。
この容姿がコンプレックスで、好きな女の子に好きと言うこともできない。
「天ちゃん、おはよっ」
不意に声を掛けられ、天馬はびくっと体を震わせて振り返った。
手を振りながら小走りで駆けてくるのは、クラスメイトの1人である中條晶子(女子2番)だった。
龍之介の幼馴染で、とても大人びていてクラス一のしっかり者――そして、天馬がいつの間にか芽生えた想いを寄せてきた人だ。
「はよ」
天馬はふいっと顔を背け、短い挨拶をした。
朝から好きな人に会えた気恥ずかしさと、クールな態度が男らしいとする自己分析の結果、このような態度しか取れないのだ。
好きな人を前にはしゃぐなんてかっこ悪い。
「中條が1人って珍しい。
龍はまさか休み?」
「まさか。
寝坊よ寝坊、呆れたから先に来たの」
「ふーん」
晶子と龍之介は家が近いこともあり、いつも一緒に登校している。
幼馴染だし、最近は物騒な事件もニュースで多く聞くので不自然なことではないと思う。
龍之介に想いを寄せている成瀬萌(女子3番)にしてみれば、中学生にもなって幼馴染とはいえ男女が一緒に登校するなんて怪しすぎる、ということらしいが、少女漫画の読み過ぎだろう。
2人が恋仲ということは聞いたことがない。
それに、以前天馬が晶子に想いを寄せていることを告げた時に、龍之介は『応援するよ』と言ってくれた。
だから、そんなことはありえないのだ。
天馬は隣を歩く晶子をちらりと見て、溜息を吐いた。
晶子のおだんご頭の分を差し引いても、晶子は天馬よりも背が高い。
仮に恋仲になったとして、並んで歩いた時に男である自分の方が背が低いなんて嫌過ぎる。
だから、天馬は晶子にその想いを告げることができなかった。
自分の身長が晶子よりも高くなったらきっと――そう思い続けてきた。
しかし、こんな風に当たり前のように毎日会うことができるのもあと半年。
中学を卒業したら、バラバラの人生を歩み出す。
そうすれば、晶子にとっての自分とは、ただの“中学時代の同級生”となってしまうのだ。
中学時代の同級生の誼でちょくちょく会うことなんて、きっとできない。
タイムリミットは、確実に近付いている。
「…ちゃん、天ちゃん?」
はっ、と天馬は我に返った。
横を見ると、晶子が心配そうな表情で天馬を見ていた。
「大丈夫?
なんか、ぼーっとしてない?」
「…別に、考え事してただけだし」
「おやつ持ってきたかなぁ、とか?」
「はぁっ!?
違うし、俺そんなガキじゃねぇし!」
「ふふっ、冗談よ、ごめんね」
「…別に、怒ってねぇし」
ふいっと天馬は顔を背けた。
ほら。
身長が低いから、子供っぽいから、まだ晶子には異性としては見てもらえていない。
もっと背が高くて男らしければ――例えば龍之介のようだったら、迷うことなく告白できていただろうか。
2人は学校に着いた。
天馬は自転車置き場に行かなくてはならないため、晶子とそこで別れた。
校舎の裏側にある自転車置き場に行き、自転車を止める。
鍵をかけ、鞄を持った。
「あ、天ちゃんおはよ」
声を掛けられ振り返ると、そこには大塚千晴(男子1番)がいた。
隣で自転車を置き、ヘッドホンを外していた。
「おはよ、千晴」
千晴はにぃっと笑みを浮かべ、天馬を肘で小突いた。
「見てたよー、さっき中條さんと一緒に来てたでしょ?
声掛けるのも野暮かなーって思ってさ、後ろから温かく見守ってたんだ、俺」
天馬はかあっと頬が熱くなるのを感じた。
その様子に、千晴は可笑しそうに笑う。
「わ、笑うなよっ!」
「ははっ、ごめんごめん!
でもさ、冗談じゃなくさ、お似合いだったと思うけどー?
告白しちゃえばいいじゃん」
天馬はふいっと顔を背けた。
「やだよ…身長抜くまで言えねぇもん」
「そっかそっか、そうだっけ。
ま、頑張って半年で身長伸ばしなよ、俺も龍も応援してるからね」
千晴はぱんぱんと天馬の背中を叩いた。
天馬は照れ臭さと嬉しさを隠すように、特に乱れてもいない前髪を何度も指で整えながら、呟いた。
「サンキュ」
「あー!
ハルちゃん天ちゃん、おはよー!」
マイクロバスの待つ校庭に向かうと、櫻田かおる(女子1番)が小さな体で精一杯大きく手を振っていた。
その手が当たったらしく、隣にいた萌がかおるを叱り、担任の藤丸英一に窘められていた。
寝坊したという龍之介は走って来たらしく、グラウンドにしゃがみ込み肩で息をしながら汗をタオルで拭っていた。
晶子はその様子を呆れた表情で見ていた。
「俺ら最後じゃん、早く行こ、天ちゃん」
千晴に急かされ、天馬は千晴の後を追って駆けた。
古山中学校は全校生徒の数が少ないので、校外学習は全校生徒全員が同じ場所に行くことになっている。
そのため、校庭で全学年の生徒が校長からの諸注意を受けた後、バスに乗り込んだ。
マイクロバスの最後列に腰掛けた龍之介が、隣に停車している少し大型のバスを見遣った。
「今更だけどさぁ、何で俺らだけ違うバスなんだろねー?
あと7人くらい入れてくれたらいいのに」
助手席に座る藤丸が振り返り笑った。
「向こうのバスの定員より、微妙に生徒数が多いからね。
いいじゃん、龍が騒ぎまくっても、他のクラスの生徒に迷惑かけないで済むんだから」
「あーっ!!
藤くん、そういうこと言うー!?」
「ほーら、そうやって騒ぐから」
藤丸と龍之介のやり取りに、天馬も含めてクラスメイト全員が笑い声を上げた。
笑いの収まらない中、バスは出発した。
バスが出発しても相変わらず車内は騒がしかった。
藤丸の言った通り、このクラスだけバスが違っていて良かった。
そうでなければ苦情が出ていただろうと思われるほどだった。
特に、龍之介が早くもお菓子の袋を開けてポップコーンをばら撒いて藤丸に怒られていた時は、腹がよじれるほどに笑った。
校外学習を前にして、体力を使いきるかと思えるほどに楽しかった。
その車内が、徐々に静まり返っていくのも、騒ぎ疲れてたので仕方のないことだと思った。
隣に座っていた千晴がもたれかかってきたのも、かおるが舟を漕いでいたら窓ガラスに頭をぶつけたのに起きなかったのも、萌が折り合いの悪い晶子と寄り添うように眠っていたのも、何一つ不思議に思わなかった。
いや、そのような疑惑を抱けないほどに、天馬も眠気に襲われていたのだ。
目的地に着いたら、また騒げばいい。
そのための英気を養うためにと、天馬は眠気に逆らうことなく目を閉じた。
◆
卒業まであと半年。
頭ではわかっていても、まだ現実感がない。
みんなで一緒に勉強して遊んで馬鹿なことをして、今日も明日も明後日も過ごす。
何の疑問もなく、そう思っていた。
まさか、その生活が今日幕を閉じるだなんて。
【残り6人】
夢だって、誰か言って。
◆
目を覚ました。中條晶子(女子2番)は未だに重い瞼を無理やり持ち上げて辺りを見回す。
どうやら、ここは教室のようだった。薄暗く部屋全体の様子はよく見えないが、教室だということは綺麗に並べられた机や、大きな黒板から、教室と呼ばざるをえない空間にいることは確かだった。
でも、わたし達はさっきまでバスに乗っていたのにどうして…?
晶子がそちらを振り返ると、成瀬萌(女子3番)が不機嫌だと言わんばかりに眉を顰め(ほんとにこの子は、男の前と女の前では態度がころっと変わるんだから。男の前ではこんな顔、絶対しないくせに。)晶子と目が合うなりゆっくりと気だるげに立ち上がった。
若くてノリが良く、それでいていたずら好きの彼のこと。萌が言うようにこれが私達を驚かすための仕掛けだということも考えられる。でも、藤くんがそれだけのためにクラス全員をこんなところに運んで、薄暗い教室に眠らせて?
ごめんと彼が小さな声で言うと同時に顔を上げ…その形の良い瞳を丸くした。龍之介の視線は、晶子の首に。
そしてその細い首を見て晶子は愕然とした。やっぱり、間違いない。晶子とかおるだけではない。
龍之介も、萌にも。
その萌に起こされて眉間に皺を寄せている柏谷天馬(男子1番)にも、いまだに眠そうに椅子にもたれかかっている大塚千晴(男子2番)にも。
クラス全員、誰一人例外などなく首輪が光っていたのだ。
晶子は震える手で制服のポケットから携帯電話を取り出し、それを開いてみると時刻は夜の22時を回っていた。
「かおるちゃんも、何も聞いてないよね?」
「うん…いつもは何かあったら委員長の私に連絡があるんだけど、今回はなにも…。」
そんな萌の様子に、かおるを庇うように口を開いたのは千晴だった。
窓もなく、殺伐とした部屋は、黒板と机とテレビがあるだけで他には何もない。
しかし、ドアが空く気配はない。
しかし、2人の力を合わせてもドアには鍵がかかっているのか、龍之介の言うとおりドアが空く気配はなかった。
再び6人の間を沈黙が包む。
萌はくるんとした愛らしい瞳を一段と大きく開くと、肩をすくめて天馬の隣の席についた。
その時だった。
ドアの向こうから、コツコツと足音が聞こえ始めた。うな垂れていた龍之介もはっとして顔を上げる。
ホストみたいな真っ白なスーツに、かっちりとセットされた髪。キリッとした眉の下の、冷たい瞳。
千晴も、動けずにただスーツの男を見つめている。
晶子はかおるを席に着くように促すと、龍之介に駆け寄った。
それを追いかけるように晶子も元いた席に座り、こうして6人全員が普段の教室と同じように並べられた机に着くこととなった。
チューリップハットの男と、ジャージの女も隣に付く。
地鳴りのような、低く、それでいて氷のように綺麗な声だった。
プログラム…?誰かが呟く。
【残り6人】