-六道輪廻- |
何度生まれ変わったとしても 君を探し出すと誓う |
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前世があると人は言う。
来世があると人は言う。
生きとし生けるものは輪廻すると人は言う。
◆
教室の窓からは、心地よい風が吹き込み、グラウンドで活動している生徒たちの活気に満ちた声が遠く聞こえる。
そんな爽やかさとは正反対の表情を、少女は浮かべていた。
「こらー、そんなぶーたれた顔してたら戻らなくなるぞー?」
「萌の顔はそんなヤワじゃないですぅー」
担任の藤丸英一に丸めたプリントでぽんっと頭を叩かれ、成瀬萌(女子3番)は赤みの差した頬を膨らませ、藤丸を見上げた。
栗色のふわふわとした髪、透けるような白い肌、大きい瞳に長い睫毛、見る者の視線を釘付けにする愛らしい唇――自他共に認める古山中学校一の美少女である萌に見上げられた藤丸は、思わず顔を背けた。
「藤くーん、もう疲れたぁ! 萌、数学嫌いだもん、見逃して?」
「残念無念、可愛い生徒の頼みでも、それはだーめ。 そのプリントが終わるまでは帰れないからな?」
「やだやだぁ、飽きちゃったもん」
「あのなぁ…萌、お前ね、教師がこう言うのもアレなんだけど、龍に負けたら駄目でしょ」
「う……それは……」
萌は言葉を詰まらせ、溜息を吐いた。
今朝の数学の抜き打ち小テストで、萌はクラス最低点を取った。
元々数学は大の苦手なのだが、今回は間違えて覚えていた公式を当てはめて全ての問題を解いてしまったので、学力においては不動のクラス最下位である神尾龍之介(男子3番)にも点数が及ばず、放課後補習を受ける羽目になってしまった。
藤丸は本来は数学教師ではないのだが、担任として付き添ってくれているのだ。
「…ほら、もう一息、頑張りなって。 頑張る萌のために、ご褒美持ってきてあげるからさ」
藤丸は萌の頭を優しく撫でてから、教室から出て行った。
この学校の男性教師は皆萌には甘いのだが、藤丸は誰よりも弱いと思う。
先日も萌の“お願い”で、藤丸は生徒6人にラーメンを奢ることになった。
これも全て恵まれている容姿のおかげだ、と萌は自負している。
これまでもこれからも、この類い稀なる愛らしさを最大限に利用して生きていく――それが、最も楽に楽しく生きられる方法なのだ。
しかし、どうやら目の前にある数学のプリントは、萌の容姿をもってしてもどうにもならないようなので、しぶしぶ数字と向き合うことにした。
xとかyとか変に曲がったグラフとか、人生にとって物の役にも立たないと思うのに、どうしてこんなことをしなければならないのか――無意識に眉間に皺が寄る。
…ああいけない、萌の可愛い顔が台無しじゃない。
お気に入りのピンク色のシャーペンの尻で、眉間をぐりぐりと押さえた。
「あれ、成瀬?」
不意に名前を呼ばれ、萌は顔を上げた。
声の主は男の子――萌の表情筋が反射的に働き、輝かんばかりの笑顔を作り上げた。
といっても、学校のアイドル的存在である萌のことを苗字呼び捨てで呼ぶ男子生徒は、他クラスの男子を入れても限られており、笑顔を作り上げなければならないような遠い仲ではないので必要ないのだけれど。
萌の想像通り、ドア付近に立っているのは、クラスメイトの柏谷天馬(男子2番)。
前髪の左側を青いピンで留めて伸ばした後ろ髪を後ろで束ねるという校則完全無視の髪型だが、顔には十分に幼さが残っており、身の丈に合っていない制服のダボダボ感が更にそれを助長させている――星組のマスコット的存在だ。
「天ちゃん、どうしたの? 部活じゃないの?」
「男バス今日部活ないし。 忘れ物したから取りに来ただけ」
天馬はぶっきらぼうに(それでも可愛く見えてしまうのは何故だろう)言うと、机の横にぶら下げていた弁当箱の入った袋を手に取り、萌の前に立った。
「ふーん、補習? ま、龍に負けるとか、ありえないしね」
萌は天馬を見上げ(この上目遣いで幾人もの男を虜にしてきた)、ぷうっと頬を膨らませた。
「た、たまたまだもん、今回は調子が悪かったんだもん!」
「調子とか…あ、そこ、右辺を2倍にしたら左辺も2倍。 調子じゃなくて数学頭が悪いんじゃないの?」
天馬は眉間に皺を寄せたまま溜息を洩らし、自分の椅子を引っ張ってきて、萌の前に座った。
萌が目を丸くさせると、天馬は相変わらずのツンとした愛想の悪い表情のまま、ふいっと顔を背けてプリントを指差した。
「とっとと終わらせて帰ろうよ、成瀬」
天馬は萌に対しては冷たい、と萌は思っている。
実際は、クールな性格こそが大人びていてかっこいいと思っている天馬の、背伸びした対人対応であり、萌に対してだけではないのだが。
しかし、そうした対応に腹が立たないのは、天馬にはこうして忘れ物を取りに来ただけなのに補習に付き合ってくれる人の良さがあるからだろう。
萌は指摘された計算間違いを直しながら、天馬ににっこりと笑みを向けた。
「天ちゃん、萌のこと、好きになっちゃ駄目だよ? 萌、天ちゃんをそういう目で見れないもの」
「はぁっ!? 何言ってんの、俺、別に成瀬に興味無いし!」
「ふふっ、知ってるぅ」
萌はくつくつと笑った。
天馬の片思いの相手は、星組女子内で最も大人びている中條晶子(女子2番)であることは、クラスメイトばかりでなく担任の藤丸までが知っている周知の事実だ(知らないのは晶子本人と、そういうことには疎い櫻田かおる(女子1番)くらいなものだろう)。
「とっとと告白しちゃえばいいのに…これだからお子様は」
「お子様って言うなっ! …やだよ、男の方がチビとかかっこ悪いじゃん」
天馬は純な人間だな、と思う。
そんな拘り、萌にしてみれば馬鹿らしいのだけれど、女子にしては長身である晶子よりも身長が高くならない限りは告白しないという天馬の決意は愛おしいとも思う。
「やっぱ天ちゃんって可愛いよね、萌嫉妬しちゃう」
「可愛いって言うなっ!」
でもさぁ、と、萌は頬杖をついた。
「正直、時間ないよぉ? 卒業したら、みんな…みんなばらばらになっちゃうんだから」
天馬は僅かに目を見開き、視線を下に落とした。
あと半年で、萌たちはこの学び舎を巣立つ。
たった6人しかいないクラスメイトたちの進路はばらばらであり、皆で勉強することも遊ぶこともラーメンを食べに行くことも、そう簡単にはできなくなるだろう。
もう半年しかない、あと半年もある――考え方は人それぞれだが、誰もが心のどこかに引っかけている寂寥感を、萌も天馬も持っていた。
「…まあ、萌は天ちゃんと違って奥手じゃないから? 卒業までには、龍之介くんの心を萌のものにしてあげるけどね♪ …てか、晶子ちゃんはその障害なんだから、天ちゃん頑張ってくれなきゃ!」
「またわけのわかんないこと…龍と中條はただの幼馴染じゃん」
「幼馴染って響きが嫌なのっ!!」
「…わけわかんないし」
そう、萌は男の子は皆好きなのだが(むしろきっと男の子たちが萌を好きなんだ、と思う)、中でも龍之介のことは特別に思っている。
少し頭が弱いが、容姿は整っていて申し分ないし、運動神経抜群でサッカー部のエースというところもポイントが高く、何よりも明るくて優しい性格がたまらなく萌の好みなのだ。
そんな意中の相手には、女の子の幼馴染がいる――作り物の物語であれば、それは恋愛に発展する可能性が非常に高いので、気に食わない。
元々甘えん坊で我儘な萌と、大人びていてクールな晶子とは折り合いが悪く関係はギスギスしているのだが、晶子が龍之介の傍にいるということが、それに拍車を掛けている。
「晶子ちゃんと天ちゃんがくっつけば、萌が龍之介くんとくっついて円満解決! …ってなるんだから――って、あ、もう4時!?」
萌はばっと立ち上がり(天馬がぎょっとした表情で萌を見上げた)、慌てて教室に備え付けられているテレビの電源に手を伸ばした。
本来は授業で使用するためのものであり、それ以外の用途で使用してはいけないのだが、そんなことは意に介さず、萌はチャンネルを変えていく。
「萌の好きなドラマの再放送が始まるじゃない! えっと…何チャンネルだったかなぁ…」
「なーるーせー、お前ね、プリント早く終わらせようよ」
「やーだっ! 数学とドラマ、どっちが大事だと思ってんの?」
「いや数学やって帰ろ――」
テレビから流れてきたとある言葉に、天馬は文句を中断させてテレビ画面に視線を上げ、萌も口を噤んで画面に映る女性アナウンサーを凝視した。
『――で行われていた戦闘実験第六十八番プログラムが、先刻終了しました。 優勝者は女子生徒で、現在は病院で治療を受けているとのことです。 今回対象になったクラスは――』
戦闘実験第六十八番プログラム――簡単に言えば、対象となった中学3年生のクラスメイトが最後の1人になるまで殺し合うという、政府が主催している実験だ。
大東亜共和国にとっては防衛上必要のあるものらしいが、萌たち中学3年生にとっては、たとえ1年に全国から50クラスしか選ばれないとはいえ、いつも心に引っかかっている恐ろしい死刑宣告のようなものだ。
画面が切り替わり、優勝者という女子生徒が画面に映った。
両脇を兵士に固められた全身を赤黒く染めた少女は、カメラの方をじっと見つめ、口の端を僅かに吊り上げ、笑みを浮かべた。
力無く、しかし修羅の如きそれに、萌の後ろで天馬が呻き声を上げた。
「…不気味……萌ならもっと可愛く笑ってみせるのに」
「馬鹿、殺し合いした後に、そんなことできるわけないじゃん」
溜息混じりの天馬の指摘に対し、萌はくるっと振り返り、にっこりと笑んだ。
背後に映る少女の笑みとは真逆の、天使の如く愛らしい笑みだ。
「ううん、萌ならやってみせるよ? どんな時だって、たとえ誰かを殺さなきゃいけなくなったって、そう。 萌は可愛くあり続けるんだから!」
爽やかな風が吹き抜ける教室はそれほど暑くはないのだが、萌をじっと見つめている天馬の額には、うっすらと汗が滲んでいた。
「成瀬、お前、もしもうちのクラスがプログラムに選ばれたら…どうする?」
「…萌? 萌はねぇ――」
「こらー! 勝手にテレビを点けるなー、てかプリント終わったのかー?」
藤丸の大声に、萌と天馬はばっと教室の入り口に目を向けた。
しかめっ面をした藤丸が、天馬に視線を向け、目を丸くした。
「あれ、天馬、今日は部活がないから早く帰るって言ってなかったか?」
「え、あ…ああ、うん、そのつもりだったんだけど…」
「萌が終わるの待っててくれてるんだよぉ、天ちゃんは」
萌はテレビの電源を切り、小走りで自分の席に着いた。
何事もなかったかのように、シャーペンを走らせる。
天馬も一つ大きく息を吐くと、「あ、そこまた違うし」、といつもと変わらないツンとした口調で萌のミスを指摘してきた。
「萌頑張れよ、終わったらプリン持ってきたから食べようなー? 2つ持ってきてるから、天馬も食べるか?」
「…あ、余ってんなら、食ってやってもいいけど? 別に、甘い物とか、好きなわけじゃないんだけどさ、余ってるなら」
「好きじゃないなら藤くんにあげちゃえばー?」
「え…いや、腹減ってるから、食べてやるってば」
「はいはい、じゃあ萌と天馬にあげるから、萌はさっさと終わらせような?」
もう、天馬は訊いてこなかった。
萌も答えない。
意味のない質問だ。
どうせ、全国に何万とある中学3年生のクラスの中から、たった6人しか在籍していない小さなクラスなど、プログラムに選ばれるわけがないのだから。
あと半年、普通に生活して、勉強して、遊んで、卒業していくに決まっているのだから。
◆
前世があると人は言う。
来世があると人は言う。
生きとし生けるものは輪廻すると人は言う。
いいや、そんなものなど、ありはしない。
恵まれたこの人生は一度きりなのだから、後悔しないように生きていく。
たとえ、何を犠牲にしても。
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